福岡高等裁判所宮崎支部 昭和53年(う)29号 判決 1982年2月23日
被告人 小田征士
昭一三・二・九生 全日空所属副操縦士(元機長)
主文
本件控訴を棄却する。
当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人石原秀男、同川崎菊雄、同尾崎純理が連名で提出した控訴趣意書及び弁護人尾崎純理が提出した控訴趣意補充書に、これに対する答弁は検察官伊津野政弘が提出した答弁書に、各記載されたとおりであるから、これを引用し、これに対し次のとおり判断する。
一 控訴趣意第一点(訴訟手続の法令違反の主張)について
所論は要するに、原判決は被告人に対する本件業務上過失傷害、航空法違反被告事件の犯罪事実認定につき、その証拠の標目欄に、「笠松好太郎作成の全日本空輸株式会社(以下「全日空」と略称する)所属JA八七〇八・YS一一(以下「本件事故機」と略称する)事故調査報告書について」と題する書面添付の航空機事故調査報告書(以下「事故調査報告書」又は「該報告書」と略称する)を掲げているが、右事故調査報告書は、運輸省航空局が本件事故原因を調査探究して、将来同種事故の再発を防止することを目的として、当該事故の原因についてその解析、推論等をなしたものであつて、航空法の規定によれば、航空機の事故に際しては、当該機の操縦者である機長に事故報告義務を課しており、該規定は刑訴法一九八条二項における被疑者の供述拒否を保障する規定に反するものであるから、右供述拒否権の保障のないもとで行われた被告人の供述及び関係者らの事情聴取に基づく事故調査官の判断により作成された事故調査報告書は、伝聞証拠により作成されたものというべく、刑訴法三二一条四項の鑑定書にもまた同法三二三条の書面にも当たらない。したがつて、これを証拠とし、本件犯罪事実を認定した原判決は憲法三八条に違反し、前記刑訴法各条に違反するものであるから、右は判決に影響を及ぼすべき訴訟手続の法令違反といわざるを得ない旨主張する。
そこで、検討するに、原判決挙示の関係証拠により、該報告書の作成経緯及び原審におけるその取調状況をみると、本件発生の日は昭和四四年一〇月二〇日であるところ、当時施行の航空法一三二条一項によると航空事故が発生した場合、運輸大臣は遅滞なくその原因について調査しなければならない(現在同条文は航空事故調査委員会設置法(昭和四八年法律第一一三号)の制定に伴い削除されている)と規定されていたことから、当時その所管事務を掌理する運輸省航空局技術部航空事故調査課においては、同課長笠松好太郎が直ちに同課員山下侃、同中村秀夫の両名に命じて該調査の任に当たらせることになり、一般に航空事故調査に際しては現場調査、機材及びシミユレーター(地上における模擬操縦装置)の調査、飛行試験による試験研究、それらに基づく解析及び推論の方法がとられていたことから、両名は同日直ちに宮崎空港に出向き、右調査等の業務を開始した。他方宮崎県警察本部においても、該事故が航空法、刑法等に抵触するかについての捜査を開始することになり、事故翌日の二一日付、同警察本部長名で、前記主管庁に対し「一、本件事故機の構造、整備点検上の欠陥の有無、二、操作上の欠陥の有無、三、飛行計画等の航行上の欠陥の有無、四、燃料不足、品質不良の有無、五、その他本件事故の原因に関する参考事項」等について鑑定嘱託をなしておいたところ、右主管課長笠松は、前示山下、中村の調査結果に基づいて右三名で合議のうえ立案し、これについて航空局長へ事故調査報告の決裁を経て、同四五年六月三日付で作成した本件事故についての運輸省航空局名の「航空機事故調査報告書」の内容が、さきに宮崎県警察本部長より鑑定委嘱された各鑑定嘱託事項の内容を満たすものと判断したので、同日付で、同本部長宛「さきに鑑定嘱託のあつた全日本空輸株式会社JA八七〇八の事故に関する鑑定事項については、別添の航空事故調査報告書のとおりであります」との文書に添付して該報告書を送付し、これをもつて鑑定書にかえることを明らかにした。そこで、検察官は原審において該報告書につき証拠申請をなしたところ、弁護人側がこれに同意しなかつたため、検察官は、原審においてその作成者である右笠松、山下、中村の三名を証人として申請し、同人らに該報告書作成の経緯及び同内容中の前記嘱託事項にわたる部分についても尋問をなして、その成立の真正を供述せしめ、弁護人の反対尋問の機会を経たうえで、改めて証拠申請をなしたので、原審はこれにつき刑訴法三二一条四項を準用すべき場合にあたるものとしてこれを取調べ、原判決において罪証の用に供していることが明らかに認められる。
すなわち、原審は、刑訴法三二一条四項に「鑑定の経過及び結果を記載した書面で鑑定人の作成したもの」とは、同法一六五条以下に規定された鑑定人の作成した書面に限られるものではなく、捜査機関の嘱託によつて作成された鑑定書、例えそれが、本件の場合における事故調査報告書という名目のものであつても、鑑定書たる性質のもの一切に適用されると解する立場から、その証拠能力を認めたものと判断される。当審においても該報告書の内容が本件事故機の飛行経過、航空機の損壊、乗組員情報、航空保安施設、人員の死傷、試験及び研究等によつて認識し得た具体的事実を基礎に、その解析及び結論を記載していて、客観性の高いものであること、その成立の真正が立証されていることに徴し検討すると、該報告書は実質的に鑑定書に準ずるものと判断する。該報告書につき証拠能力あるものと判断した原審の措置にはなんら違法の点はない。論旨は理由がない。
二 控訴趣意第二点(事実誤認ないし理由不備の主張)について
所論は要するに、原判決は、被告人は本件事故機による宮崎空港着陸に際し、いわゆるハイドロプレーニング現象が発生することの予見可能性があつたのに、その具体的回避措置を採らなかつたこと、全日空の運航規程及びYS一一型機の標準飛行方式(以下「標準飛行方式」と略称する)を遵守しなかつたことから接地点が延び、接地速度を速めることになり、その結果滑走距離が延びることとなつたこと、着陸復行を行わなかつたこと等が原因で本件事故を招いたものであるとして、被告人の過失責任を認めているが、本件事故は被告人の予見し得ないハイドロプレーニング現象に起因する滑走距離の増大及びウインドシエアの発生により接地点が通常の場合より内側に入つたことにより滑走路逸走(以下「オーバーラン」ともいう)を防止し得なかつたことが原因で発生したものであつて、右各現象の発生について被告人に予見可能性はなく、本件事故は不可抗力に基づき発生したものである。したがつて、被告人は本件事故につき過失責任を負うべきいわれはない。原判決は証拠の評価を誤つた結果事実を誤認し、かつ、理由不備の違法を犯したものである、と主張する。
そこで、原審記録を調査し、これに当審における事実取調の結果をも併せ考察するに、原判決挙示の関係証拠によれば、原判示事実は、事実認定についての補足説明の項で判示するところも含めてすべてこれを優に肯認することができる。以下所論に鑑み順次主たる争点につき検討する。
(一) ハイドロプレーニング現象発生についての予見義務について
同現象発生についての予見義務については、原判決が前記補足説明の項の二で説示するとおりであつて、更に付言すると、(証拠略)によると、まず、被告人は捜査官の質問に答えて、「ハイドロプレーニング現象とは地上と物体との間に幕ができて、物体が地上に着かない現象のことで、雨が降つて水が地上に溜つているとき起きると聞いている。雨天の場合、いわゆるハイドロプレーニング現象が起きるらしいということは知つていた。それは昭和四四年四月四日に大阪空港で発生した日本航空機の事故の際、ハイドロプレーニング現象が発生したというようなことを新聞で見たし、またその年の春ころ同現象について会社からパンフレツトを一、二回もらつたことがあり、今回の事故を起すまでの私の知識としては、雨の場合に水が油のような役目をして氷のうえを滑るような状態になることがあるということです。右「スリツパリーランウエイについて」は大阪空港事故の当時、会社よりもらつて内容を読み、V=q√P(Vはスピード、Pはタイヤの内圧)という関係で同現象が発生するということを知つていた」旨述べていること、右「スリツパリーランウエイについて」によれば、滑走路が雨、氷やスラツシユ(油等でのぬかるみ)で覆われているとき、ローリング(滑走)中の飛行機のタイヤと路面との間にハイドロダイナミツクプレツシヤーが発生し、減速に必要な摩擦抵抗がなくなるうえ、横風やその他の内外力によつて思わぬ方向へ滑つてしまう。これは飛行機のローリングスピードが速ければ速いほど顕著に現われる。機がハイドロプレーニングを起すとタイヤと路面間のすべての付着力は失われ、タイヤは路面との間に介在した液層に乗り、支えられた形になり、タイヤと路面間の摩擦力を完全に失わせてしまう、その結果航空機の離着陸の方向コントロール、速度調節等はハイドロプレーニング状態では極めて困難である旨、更に加えて、同資料にはハイドロプレーニング現象が発生する具体的条件及び事例、同現象発生時の航空機の離着陸操作方法、同現象の航空機の安全性に与える影響、同現象に関する知識を持つことの必要性等に至るまでの詳細な記述がなされていること、また、本件当時航空機操縦者の間では、同現象について、雨のため滑走路が濡れている場合にこれが起きやすく、速度が速いとき発生しやすいということについて一般的認識を有していたことが認められる。
これらの事実を総合すれば、本件当時航空機操縦者一般は、降雨中の航空機の離着陸の際の同現象発生の可能性及び同現象が航空機の安全性に与える影響を考慮し、結果を回避するための具体的方法(例えば後述の如き着陸復行、代替空港への回避等)を選ぶことで、同現象発生に伴うオーバーランを招来することからくる危険発生を未然に防止していたものと判断するのが相当であり、具体的事件における被告人の刑責の有無を判断するに必要な予見可能性の有無は、必然性を問題にする必要はなく、蓋然性の有無を判定することをもつて足りると解されるから、航空機操縦者として一般的水準にある被告人において、右ハイドロプレーニング現象発生の原理はともかく、特定の気象条件下で同現象が発生することのあるべきこと、同現象の航空機の安全性に与える影響等について、その十分な認識を有していたものと判断するのが相当で、右認識程度をもつて、被告人にその予見義務を認めた原審の判断にはなんらの違法もない、したがつて、その認識が不可能であつたことを前提とする論旨は採用することができない。
(二) 全日空の運航規程及びYS一一型機の標準飛行方式の遵守義務について
(証拠略)によると、被告人は同三一年海上自衛隊に入隊後、航空操縦学生となつて航空機操縦士としての基礎教育を受け、同三四年航空自衛隊小月基地へ編入され、その後数か所の航空自衛隊基地を転属しながら航空機の塔乗訓練を受けたが、同三七年三月自衛隊を退職し、同年五月名古屋市在の中日本航空株式会社にパイロツトとして入社し、同社における勤務中に事業用航空機操縦士、計器飛行証明、航空機無線通信士、三等航空通信士としての各技術資格を取得し、同四〇年同社の定期航空部門が全日空に吸収合併されたため、被告人も同社に移籍し、同四二年に定期運送用航空機操縦士の資格を取得して同四三年二月フレンドシツプ機の機長となり、そして、同四四年八月一四日から同年九月八日までは、YS一一型機の機長となる機種変更のための訓練を鳥取県米子市在の空港で、深谷信吾教官から受けた後同年一〇月一日付で同機の機長となつた。すなわち、被告人はYS一一型機については、機長見習としての約五一時間と、機長としての約五八時間の飛行時間を有するにすぎない者であつた。なお、同社においては、飛行時間が一〇〇時間に満たない機長は、当該機に対する操縦経験が未熟であることを理由に、ダブルミニマム制度を設けて、その間は一般の機長に課される制限以上の制限を課して安全確保に務めていたもので、被告人は本件当時右ダブルミニマム未解除の機長であつた。ところで、被告人の右機種変更のため訓練実施の際使用された教材は、前示運航規程、YS一一型機の飛行訓練教程及び標準飛行方式であつた。航空法の規定によると、航空会社は新機種を導入するときは、同機種についての運航規程、整備規程を定め、運輸大臣の認可を得なければこれを運航の用に供することができないこととされていることから、全日空においては、YS一一型機の導入に際し、同機の製造会社である日本エアロプレンマニユーフアクチユアリング株式会社(以下「ナムコ」と略称する)が、同機の製造技術及び性能テスト等を通じて得られた資料をもとに作成したナムコYS一一Aオペレーシヨンアニユマルを参考に、運航規程第一巻(運航業務実施規程)、同第二巻(飛行機運用規程)を立案し、これを運輸大臣に認可申請し、右認可を得て同四四年一月二〇日付でこれを同社規程として制定し、その後必要な部分改正を行つて今日に至つているものであり、また標準飛行方式については、同四四年八月ころ、それまで全日空内に設けられていた飛行技術検討会を発展的に解消せしめて、当時同社所属の機種が増えたこともあつて、各機種ごとの分科会(飛行方式標準委員会)を発足せしめ、各分科会は収集された資料をもとに討議検討のうえそれぞれ成案を得て、これを航務部長に答申し、同部長は更にこれをもとに一部パイロツトに試験飛行させたうえで必要な修正を行い、そのころ同社における各機種単位の飛行機運用のための統一方式としてこれを決定したうえ、各パイロツトに交付して周知徹底せしめ、運用しつつあつたが、その後同四五年四月ころに至つて各方式は、前記運航規程の整備に伴い、該規程第二巻中の正常操作手順及びその他の項に組み入れられているものであることが認められる。
以上の被告人の航空機操縦経歴及び当該規定方式の制定経過、目的から判断すると、右規程及び方式は、いずれも航空機の運行にあたり、その安全維持のため、航空法及び同法施行規則の定めるところにより、飛行場内外に設けられた着陸進入援助設備、航空交通管制施設、飛行場管理機関等と当該機の航行が有機的に連係ができるよう、その配慮のもとに、これらが制定されたものということができ、そして、これに従つて各航空機操縦者がその任に当たることによつて航空機の運航が円滑、安全そして的確に行われているものと解することができるから、右規程及び方式が所論の如く航空機操縦士に規範性を持たない単なる社内の技術情報、単なる航空機操作上の目安にすぎないとする主張は、同規程及び方式の制定目的、内容を全く考慮しない弁護人独自の立論といわなければならない。もつとも、通常法令、規程等で安全維持のため規定される注意義務は、危険性ある定型的な状態を前提として、危険の具体化を予防するために必要と認められる作為、不作為を定型化したもので、注意義務のすべてを網羅することはもとより不可能なとこであるから、右規程中に、右の場合の危険の具体化を予防する必要にして適切な措置を定める規定のない場合もあり得るし、また、法令及び規程等の予想する定型的事実と、予期し得る具体的危険が必ずしも合致するわけでもないから、行為者において法令及び規程上の義務を完全に遵守したからといつて、これらの場合、前者かそれだけで注意義務を尽くしたことにはならないし、また後者のすべてが注意義務違反となるものではない。しかしながら、前記のとおり全日空における運航規程及び標準飛行方式は、当該機の操縦に際し的確、安全な運航がなされるよう、その基本的事項を極めて具体的に、他の施設、関連機関等との連係も考慮されたうえで各パイロツトに統一して運用することを求めてこれを制定しているもので、その規程内容中には右の危険の具体化を予防するために必要と認められる作為、不作為を個々に規定している条項があり、通常はこれを遵守することにより具体的危険の結果を回避し得るもので、これに精通することがパイロツトとなる資格取得の要件でもある。したがつて、被告人においてこれを遵守すべきは勿論、これを遵守してなお具体的状況のもとで、危険の発生が予測される場合、当該危険を防止し、あるいは、これを回避するため実験法則上必要な一切の注意をなすべき業務上の責任を有するものというべく、同立場のもとで該規程及び方式に掲げる事項を本件における注意義務として判示し、その遵守義務を被告人に求めた原判決は正当である。
(三) 本件事故発生の経緯と本件における注意義務について
1 飛行経過及び本件事故について
(証拠略)によると、同四四年一〇月二〇日、被告人は大阪空港発鹿児島行定期航空便である本件事故機の機長として同日一一時ころ鹿児島空港へ着陸した。同機は更に一〇四便として宮崎空港向け同空港を同日一二時五〇分に出航することになつていたので、被告人は昼食後直ちに宮崎空港における気象情報を入手したところ、<1>一一時現在―風三〇度、一三ノツト、視程四、五〇〇メートル、雨八〇、雲量2/8一、〇〇〇フイート、3/8一、五〇〇フイート、6/8二、〇〇〇フイート、温度一九度、気圧二、九九一ミリバールということであつたので、飛行可能と判断し、全日空鹿児島支所運航管理者三浦真文、柏崎郁夫副操縦士及び被告人の三名で飛行計画(以下「フライトプラン」という)を協議作成し、「巡航高度七、〇〇〇フイート、予定出発時刻一二時五〇分、航空経路鹿児島空港から鹿児島ホーマー、オオミネポイントを経由して宮崎空港へ着陸する。飛行方式は計器飛行、所要時間二五分、代替飛行場は福岡板付空港、燃料は、五、五〇〇ポンドすなわち二時間四七分航行分、乗客予定は満席の六四名、飛行機番号八七〇八」とすることを決定した。しかるに、右三浦がその後の宮崎空港における気象情報を入手したところ、<2>一二時現在―風二〇度、一七ノツト、最大瞬間風速二九ノツト、視程八、〇〇〇メートル、雨八〇、雲量2/8一、〇〇〇フイート、6/8一、五〇〇フイート、8/8一、二〇〇フイート、温度二〇度、気圧二、九八七ミリバールであることがわかり、YS一一型機の場合、湿潤滑走路において横風二〇ノツト以上の場合は同社の運航規程上飛行できない制限規定があり、右瞬間最大風速を横風計算になおすと、右制限を超過することが判明したので、三浦はその旨を被告人に告げ、再協議のうえ右予定出発時刻を取消して改めて一三時の気象情報を待つこととし、なおそのとき被告人は三浦から、<3>ボーイング七三七型機が同空港に着陸せず、代替空港である板付空港へ向つたことを聞いた。その後三浦が入手した気象情報によると、<4>一三時現在―風二〇度方向から一三ノツト、瞬間最大風速二四ノツトということで右の場合横風制限になおすと一五ないし一六ノツトで右制限にかからないことが判明したので、三名は再度協議のうえ着陸に支障がないものと判断して、出発時刻を一三時一〇分と決定し、被告人と柏崎は離陸に際してのチエツクリストによる機内外の点検を了し、乗務員、乗客を塔乗せしめたのち、スチユーワーデスに命じて乗客に対し、<5>宮崎空港の気象次第では鹿児島空港へひきかえすことのある旨のアナウンスをなし、一三時二六分同空港を離陸した。途中一三時三五分に至つて運輸省航空局宮崎空港事務所航空管制室(以下「管制塔」と略称する)との交信を開始したが、その際の交信における気象情報によると、<6>風向が三四〇度から八〇度間を変動し、その変動幅が一〇〇度と大きいこと、風速一三ノツト、最大値二四ノツト、視程三、五〇〇メートル、驟雨、雲量2/8七〇〇フイート、4/8一、〇〇〇フイート、8/8一、五〇〇フイート、使用滑走路09ということであつた。そこで被告人は一三時四〇分に、改めて全日空宮崎駐在運航課に対し、最新の気象情報の送信方を依頼すると、折りかえし、<7>風向三六〇度から〇四五度を変動(その変動幅四五度)、特に〇二〇度から〇三〇度のときが多い、風速平均一九ノツト、最大二五ノツト、雨は激しい、視程三、〇〇〇メートル、ターニングベース付近の雲高四〇〇ないし五〇〇フイートで雲で低い、滑走路上にかなりの水溜まりがあり、濡れているので注意という旨の交信を得た。同時刻ころ本件事故機がオオミネポイントを通過して、同四八分滑走路誘導電波と位置確認のための無指向性無線標識施設(以下「宮崎NDB」と略称する)を通過した時点で、管制塔より、<8>同時現在―風向〇二〇度、風速二〇ノツト、最大二四ノツト、最小七ノツトである旨の気象情報を得、管制塔の通報に従つて針路を磁方位一三〇度にとり、高度を下げながら海上に向け飛行、ダウンウインドレツグを続けつつある間に、同五〇分ころ管制塔から、<9>風速一三ノツト、最大二四ないし二七ノツトである旨の気象情報及び使用滑走路選定についての問い合わせがあつて、被告人は周回進入によるA滑走路09を要求したところ、了解した、現在位置は一一マイル、高度を知らせとの交信に、被告人は二、三〇〇フイートを通過中と応答し、滑走路へ向け降下を続け七〇〇フイート付近で場周経路に入り、無線による着陸誘導装置(以下「GCA」と略称する)の指示に従い水平飛行を続けつつあつたところ、約三海里地点に至つて降雨が激しくなり、管制塔は、<10>降雨現象により精測レーダーによる機の確認ができなくなつたから直ちに進入復行を行うよう指示したので、被告人はこれに従つて上昇をはじめつつあつた間に、右前方に滑走路が視認できた。すなわち、被告人は前記気象情報等を考慮し、機の風向、風速により受けることのある影響を少くすべく、機首を風向きに修正する状態で操縦していたが、それでも滑走路直線コースより左へ1/4海里程度それていることにそのとき気がついた。一四時〇一分高度五、〇〇〇フイートに上昇し、管制塔に対し最新の気象情報及び着陸指示を求めたところ、管制塔から、同九分<11>風向三三〇度から〇六〇度の間を変動(その変動幅九〇度)、風速一九ノツト、視程二、五〇〇メートル、驟雨、雲量2/8七〇〇フイート、5/8一、二〇〇フイート、8/8二、〇〇〇フイート、気圧二、九八四ミリバール、同一二分<12>風向〇二〇から〇三〇度、風速一五ノツト、最大二〇ノツトである旨の情報を受けたので、被告人はベースレツグからドツグレツグに入る直前の一四時一三分、管制塔に対し、今度は滑走路27側からの着陸を要求したところ、管制塔より、了解する、三二〇度に左旋回し一、五〇〇フイートに降下するよう、その後は二九〇度に左旋回し、同高度のままフアイナルレツグに入れとの指示を得たので、これに従つて航行を続け、同一四時一四分ころ、管制塔より最終降下を開始するよう指示を受けて、それまで一〇度だつたフラツプ開度二〇度下げにした直後ころ、機の位置がグライドパス(航空機の最終進入経路上最も適当とされる降下角度線)よりやや高いようです、との交信を受け、これにしたがつて、機の高度を修正したところ約八〇〇フイート付近にきたとき、丁度良い降下角度だとの交信があつて、約五ないし六海里の地点付近で高度約四〇〇フイートのころ、滑走路が視認できた。そこで、被告人は同時点で柏崎副操縦士に対しいつたんフラツプフルダウン(フラツプ開度を三五度に下げること)を指示したが、その後直ちにこれを取消して、フラツプ開度二〇度で降下を続けつつあつた一四時一五分ころ、管制塔から、少し高度が高いようです、右より左へ流されています、降下率を少し増加して下さい、との指示があり、三海里地点に至つても、さらに、少し高度が高いようです、機首を二九〇度にしなさい、風向〇一〇度、風速一五ノツト、右後方から背風がある、着陸には十分注意して下さいと、そしてさらに、一海里から3/4海里(約一、二〇〇メートル)の地点に達する間にも、グライドパスより高度が二〇フイート高い、針路二八〇度との指示を受けたが、被告人はそのまま着陸進入を続け、原判示の対気速度で同判示地点に機を接地せしめたところ、これに続く滑走が09側滑走路末端を越えて滑走路草原、場周道路を逸走してオーバーランし、その先方山内川堤防に機首を激突させて擱坐するに至らせ、よつて同機を原判示のとおり破壊するとともに、乗客らに判示各傷害を負わせたことが認められる。
2 フラツプ開度と慣行について
所論は、原判決が、被告人は前記運行規程及び標準飛行方式に規定するとおりフラツプ開度を三五度にし、その着陸重量に対応したスレツシユホールドターゲツトスピード(滑走路末端通過基準速度)(以下「TTS」と略称する)を守り、仮に当時の気象状況を考慮して機体の安定のためフラツプ開度を二〇度にした場合でも、その開度に合致したTTSを厳守して滑走路末端を通過すべきであつた、と判示する点に対し、右フラツプ開度を三五度にせず、二〇度にしたことに注意義務違反はない。本件事故は前記主張のとおり、不可抗力によるものであると主張する。
ところで、真の意味の不可抗力とは注意義務そのものが客観的に存在せず、したがつて遵守すべき注意義務が存在しないとき、又は法の要求する注意義務を完全に遵守したのに結果が発生した場合を意味するものである。被告人は航空機操縦士としての免許を有し、多数の乗客を塔乗せしめて目的地へ輸送すべき機長としての身分で、航空機操縦の任にあたることを業とする者であるから、いやしくも航空機を操縦するにあたり、その注意を怠り、ために人を傷害したるときは業務上過失傷害罪の罪責を負うべきことは当然である。そして、航空機のように事故が発生すれば極めて重大な結果となることが多い高速度交通機関の操縦に従事する者には安全確保のため高度の注意義務が課されており、十分の安全を考え、早い機会に措置をとるべきことが要請されている。航空法は、同法において航空操縦者に対する個々の注意義務についての規定を設けないが、航空運送業務を行う航空会社に規程を制定すべきことを義務づけ、同規程制定にあたつては運輸大臣の認可を受けるべきことを要件としていることは前述のとおりである。全日空の前記運航規程がそれであり、また、同社においては該規程制定以前より内規としての前記飛行標準方式を定めて、当該機の正常操作要領を定めるなかで、危険の発生を予防する方策を構じ、後に同方式は前記運航規程にこれを組み入れている。なるほど、右がいずれも直ちに取締規則とはいえないとしても、おおよそ一定の業務に従事する者は、その業務の性質に照らし、危害を防止するため実験法則上必要なる一切の注意をなすべき義務を負担するものであるから、法令、規則、規程等に、具体的に明文の規定をもつて取締規則を定めていないとしても、そして、右の規程及び方式が運航の安全と的確及びその管理を第一の制定目的としているとしても、該規程、方式中の個々の規定を遵守することで、航空機の安全運航が保たれ、危険の発生が予防されていることにかんがみれば、前記注意義務を有する航空機操縦者がこれを遵守すべきは当然である。弁護人はその論旨中で着陸進入(以下「アプローチ」ともいう)に際しフラツプ開度を三五度とすべきことを定めた規定は運航規程中にない旨主張する。なるほど、同四四年制定の該規程中、正常操作手順の項にはこれを定める規定はない。しかしながら、前記標準飛行方式(同四四年七月一五日施行)中一一―(2)にはランウエイが目視でき、確実に着陸可能と判断された時点でフルダウンとする旨を明記しており、そして、右規定は前記のとおり同四五年四月の規程整備の際、そのまま該規程中に組み入れられている。ところで、フラツプは航空機の高揚力装置の代表的なものであつて、すなわち機の離着陸のような低速飛行の際に、失速しないように、これを下げることによつて揚力を増す装置であり、フラツプ開度を大きくすることにより機の最大揚力係数も上がることになり、また、フラツプ開度の大小が気流等の機の翼面に与える影響を増大せしめることにもなるのであるから、特に機の離着陸に際しては重要な役割を持つ装置といい得る。そこで、全日空においては、本件事故機の性能上最も標準的、合理的とされる着陸の際のフラツプ開度について、標準飛行方式において前記のとおりこれを規定し、その統一的運用を図つているのである。なお、(証拠略)によると、まず、右訓練教程においては、「高度五〇〇ないし六〇〇フイートでフラツプフルダウンをコールする。第四回旋回を終えるころフラツプはフルダウンとなつていること」を明記し、前記被告人がYS一一型機への機種移行の訓練の際、その指導教官であつた右深谷は「同訓練の全期間を通じ右要領以外すなわち、フラツプ開度二〇度で着陸を指導したことはない。フラツプ開度を二〇度にしないで着陸する場合は、運航規程上それは非常操作手順のフラツプ非対称の場合であり、フラツプ開度二〇度の場合は、フラツプ開度三五度に比べて速度が出る関係で、当然着陸路長も延びる」と述べ、その参考として全日空において航空機操縦士に対して配布し、航行中常時携帯せしめているアブノーマルチエツクリストによれば、フラツプ開度三五度を一〇〇パーセントとして、フラツプ開度二五度、二〇度、〇度の各場合の着陸路長の延びる率が記載されており、例えば二〇度の場合は一三パーセント延びる旨記載している。そして、右深谷は更に「着陸時フラツプ開度は三五度にするのが原則であり、自分は雨や横風が強いときでもフラツプ開度は三五度にしている。二〇度で着陸したことはない、雨で滑走路が漏れている場合、私なら二〇度下げはしないだろう」と述べ、また、航空大学校教官である右伊藤も「フラツプ開度二〇度下げは、三五度下げに比べ、滑走路末端通過時の速度も速くなり、接地速度も速くなるので、その結果は滑走距離も延びることになるから、本件のような制限内風速であつて、降雨中であることを考えれば、フラツプ開度は三五度にすべきであつた」と述べている。これに対し被告人は原審及び当審において「多くの航空機操縦者間において、本件事故当時からフラツプ開度二〇度で着陸する方法が慣行として行われていたし、自分も右慣行に従つて二〇度を選んだ」と供述しているが、一方で捜査官に対しては「私はYS一一型機の飛行訓練期間及び機長見習い期間を通じて、天候の良し悪しにかかわらずフラツプ開度は三五度下げで着陸していた。そのころYS一一型機について二〇度下げのままで着陸したのを見たり聞いたりしたこともなく、またどのような条件の場合に二〇度下げで降りた方がよいという指導を受けたこともない」旨述べていることが認められるので、これらを総合して考えると、論旨中の、当時から現在に至るまで航空機操縦者間にはフラツプ開度二〇度で着陸する慣行があり、被告人もこれに従つたにすぎないとの主張については、慣行は業務上過失致死傷事件においては、単なる過失の軽重及びその度合を図るのに参酌されるにとどまるものであつて、右慣行に従つたということから直ちに被告人の注意義務が否定されるものではないし、また論旨中の、被告人は気流の乱れのもたらす機の不安定を防止する意図のもとでフラツプ開度を二〇度にしたと主張する点についても、通常機の安定は補助翼(エルロン)、方向舵(ラダー)の使用量を増大することで修正することができるもので、二〇度下げにすることが絶対の方法とはいえないのであつて、ことにフラツプ開度を二〇度とすることによつて生ずべき対気速度及び接地速度の増大、前記認定の気象条件、宮崎空港の滑走路についての被告人の認識程度、YS一一型機の操縦においてフラツプ開度二〇度で着陸した経験は皆無であること、加えて被告人より以上の豊富な飛行機操縦の経験を有する右深谷、伊藤らの前記供述内容等を併せ考慮すれば、当時フラツプ開度を二〇度にすることが他の航空機操縦者間に採用されていたとしても、本件当時における被告人の場合、右措置が相当であつたとは到底いい難く、この点に関する原判決の判断に誤りはない。被告人は本件事故機の着陸進入に際しては、同社の制定した規程、方式等を遵守し、まず、同方式によるフラツプ開度三五度で着陸進入を試みるべきであつたと認めるのが相当である。
3 本件事故機の接地速度及び接地点について
所論は、原判決が「本件事故機はA滑走路東端の一、二五海里から〇、二五海里の地点を対地速度平均一三五ノツトで降下進入し」と判示する部分は本件事故と無関係であり、また「その後も機体の安定を懸念するあまり速度調節が不十分であつたため」、「滑走路末端を対気速度一二〇ノツトを超える速度で通過し」、「右通過後に前記の適正な接地帯に接地するようエンジン出力を十分絞り機首の引き起しをする等の操作にも適切を欠いた結果」と各判示する部分は、いずれも証拠に基づかない独断的認定である旨主張する。
しかしながら、右各判示部分は原判決の挙示する各証拠及び事実認定についての補足説明の項で詳細に説示するところから十分に首肯し得るところである。論旨中前記事故調査報告書の信用性を争う点については控訴趣意第一点において判示したとおりであつて、なるほど、同報告書作成にあたつては、その任にあたつた前記証人山下、中村らが直接被告人及び関係者らから事情聴取した事実が明らかであるが、(証拠略)によると、被告人は本件事故で受傷し入院加療中であつたとはいえ、捜査官による身柄拘束を受けているとか、事情聴取の任にあたつた右山下侃及び中村秀夫の両名に対し、畏怖、遠慮、気がね或いは迎合しなければならないという情況下にはなく、病院内という憚りを要しない場所での事情聴取に自ら応じ、任意に自己の記憶に基づいて事故情況を述べたというものであること、また、他の関係者の場合も各自が直接経験、目撃した事実をその記憶に基づいて任意に述べたという右事情聴取の結果のほか、被告人と管制官との交信記録、本件事故当日右山下侃、中村秀夫の両名が現場に臨んで本件事故機の外部損壊状態、コツクピツト内の各計器及び収集された機の損壊部品類についての解析調査、滑走帯面及びその延長場周道路上におけるブレーキ効果によるタイヤ痕、プロペラブレード(プロペラ羽根)によつて場周道路上につけられた痕跡、更に右の結果得られた資料をもとに、名古屋空港において実験飛行を行つて得た資料等を総合して、同報告書が作成されていることが認められるから、右は客観性の高い証拠というべく同内容は十分信用できる。同報告書はその中において、本件事故現場、場周道路上のプロペラ打痕、衝撃状況よりして、本件事故機の場周道路通過時の対地速度は約八〇ノツト、プロペラピツチ角はほぼ〇度、エンジン回転数は10,000rpmと推定されるとし、これに航空機重量、滑走路滑走時の摩擦係数、風向、風速等を勘案して得られた滑走距離、管制官との交信録に現われた一四時一四分四四秒、タツチダウンポイント東六マイルの地点、同一五分四二秒同三マイルの地点までの五八秒間平均時速一八六、二ノツト、同一六分七秒同二マイルの地点、三マイルから二マイルまでの区間二五秒間の平均時速一四四、〇ノツト、同一六分三一秒同一マイルの地点二マイルから一マイルまでの区間二四秒間の平均時速一五〇、〇ノツト、同一六分五七秒タツチダウンポイント通過一マイルからタツチダウンポイントまでの区間の平均時速一三八、四六ノツトという速度変化資料並びに推定接地点から場周道路までの地上滑走距離などから、右接地時の推定速度を対気速度約一二〇ノツト、対地速度約一三五ノツトとし、接地点を滑走路東端側27末端から西方八〇〇ないし八五〇メートル付近とそれぞれ算出推定しているが、右推論の過程、根拠及び計数算定の方法に指摘し得べき誤りはない。
論旨中右速度算定に際し用いられた摩擦係数ミユー(μ)の値を〇、〇五とした点を論難し、本件においては〇、〇二の数値が正しいと主張する点については、当審証人土田俊一が同人作成の鑑定書において右数値を採用し、同鑑定書並びに証言においてハイドロプレーニング現象時の摩擦係数はダイナミツク、リバーテツド、ハイドロプレーニングのいずれの場合も、ローリング摩擦程度すなわちμ-0.02である旨見解を示し、そしてハイドロプレーニング現象が起きた場合のミユーの値をどうとるか、いろいろ資料を調べたが、はつきりこうだと書いてあるのはない、そのなかの代表的なものがナムコ及び米国航空宇宙局(以下「ナサ」と略称する)の資料である旨供述する。
ところで、摩擦係数は、一般にタイヤの種類、状態(内圧及び摩擦程度)、路面の材質、仕上げ程度、湿潤状態、大気の温度、タイヤの回転数等の諸要素によつて差異があり、とくに、滑走路の場合、機の着陸接地、制動の際に生ずる溶融したタイヤ、ゴムの付着した湿潤路面ではその付着量が増加するにつれて摩擦係数が低下するとされており、当審における弁護人提出の証拠中、湿潤滑走路の安全基準調査研究報告書(財団法人航空振興財団作成)における実験結果によつても、空港ごとの滑走路仕上げ状況により、その摩擦係数がそれぞれ異つていること、同じく提出にかかるエアロドロームマニユアル・パート五においても、計測器を塔載して摩擦に関する飛行実験を行つたところ、ブレーキオンで摩擦係数μが〇、〇五の状態のもとで、予期に反してハイドロプレーニングに巻きこまれた旨の記述があること、そして、右中村は原審及び当審において、事故報告書において摩擦係数を〇、〇五とした根拠は、ICAOの飛行場マニユアル、ナサ発行のラングレイリザーチセンターで準備されたデーター及びアサイデントダイジエスト等を調査し、本件事故機のタイヤについても株式会社住友ゴムから資料提供を受け、なお名古屋空港における滑走試験による数値を本件事故当時の条件に修正して右μの値を〇、〇五とした旨供述していること及び当審における鑑定人楢林寿一も、証人としてμの値のどれをとるかは実験してみなければわからない旨供述していることなどに徴して考察すると、特定の空港において使用されるμの値は、右資料等のほか、種々の調査、実験によつて得られた数値の平均によつて定まると考えるのが相当であるから、右土田鑑定がμ-0.02とし、これが絶対唯一の数値であるとしている所論の立場は容易に納得できず、これに対し事故報告書が右資料等を根拠にμの値を〇、〇五としたことはむしろより客観性があるというべきである。したがつて、これを理由に原判決を論難することは相当ではない。
なお、論旨は右土田鑑定を根拠とし、本件事故機の滑走路接地時にハイドロプレーニング現象が発生していたことを条件に、着陸時のフラツプ開度を二〇度、三五度とした場合の各着陸距離が、いずれも二、〇〇〇メートルを超えることから、同距離を有しない宮崎空港においては、本件オーバーランによる事故は回避できなかつた旨主張するけれども、同鑑定がその計算根拠としたμの値に前記のとおり疑問があつて客観的に信用できないものである以上、同鑑定の結果はたやすく採用できない。
また、右論旨中の本件事故機の滑走接地時の対気速度を一二〇ノツトと認定した点は、右はボーボイズ現象(機の接地時にイルカの泳ぐような状態でバウンドすること)についての無理解によるもので、本件事故機は三点着陸(前脚と主脚が同時に接地する着陸の方法で最も標準的な接地方法)によりスムースに接地しており、対地速度が一二〇ノツトという高速では着地していないと主張する。しかしながら、本件事故機の接地の際衝撃があつたことについては、(証拠略)によれば、同人らはいずれも本件事故機の乗客であるところ、(証拠略)において、表現の差はあれ、接地時に大きな衝撃があつた旨述べており、うち一名は「一度接地してからバウンドするように浮き上り、機体が左に傾きまた飛び立つなと思つたら接地してシヨツクが来た」と述べ、いま一名は「膝の上に抱いていた乳児がふたつ前の座席まで飛ばされた」旨それぞれ具体的に供述しており、本件事故機の接地時にはボーボイズ現象とはいい得ないまでも、同現象類似の状態が生じたことが推認でき、右はかえつて原判示認定を補強こそすれ、その認定を妨げるものではない。
また、所論は、原判決が前示標準飛行方式に定める接地点(滑走路末端から一五二、四メートルないし三八一メートル)を注意義務の基準としながら、判決においては一五〇メートルないし四五〇メートルの間に接地するよう操縦すべきであつたと判示するのは前後に矛盾があると主張するが、航空法五四条の二によれば、飛行場の設置者は運輸省令で定めるところにより、飛行場使用の条件、管理規程を定めることができる旨規定しており、また(証拠略)によると、宮崎空港においては、接地点は滑走路末端から五〇〇ないし一二五〇フイートの間を原則とするが、滑走路面上に表示した接地帯標識四本線(滑走路末端から一五〇メートル)から同二本線(同四五〇メートル)に接地してよいことが定められているのであるから右判示に所論の誤りはない。また、原判決は右の接地点について本件事故機は滑走路27側末端より八〇〇ないし八五〇メートルの地点に接地した旨判示するが、右は事故調査報告書が前記諸要素をもとに推算したところ、機の接地時の対気速度は一二〇ノツトと判断されたこと、(証拠略)によると、管制官は四分の三海里付近でグライドパスから二〇フィート高いと被告人に指示を与えた旨述べていること、本件事故機の接地を最も近距離から目撃した原審証人尾上紘一の尋問調書及び(証拠略)を総合すれば優にこれを認めることができるので、右各証拠に合理的疑いを見出し得ない本件にあつては、右判示についても所論の誤りはない。
なお、所論は、本件事故原因は被告人において予測し得ないウインドシエアによるものであると主張し、そして(証拠略)によればこれに沿う記述があるが、右は本件事故機が滑走路末端を適正な高度及び速度で降下したが予測した地点に接地できなかつた、接地の際衝撃は極めて軽微であつたという被告人の供述を前提に作成されたものであることが窺えるが、着陸進入の際の滑走路末端より3/4海里付近における高度がグライドパスにより二〇フイート高かつたこと、接地時の対気速度で約一二〇ノツトで大きな衝撃のあつたことは前段判示のとおりであり、そして、本件事故機の着陸進入時に気温の逆転や下降気流、空気密度の傾斜層の直下の地表の境界層中に発生するとされるウインドシエアが発生したことを窺わせる気象観測上の如何なる資料もなく、あるいは、そのような情報が他機の塔乗員から得られたというのでもなく、そして、被告人自身当審において、「本件事故後に同僚からウインドシエアがあつたのではないかといわれ、現在ではそれがあつたのかなあと思つています」と供述するにとどまる本件にあつては、右は結局証拠に基づかない推論にとどまるものであるから採用することができない。
さらに、所論は、本件事故は専ら、本件事故機の接地の際ハイドロプレーニング現象が発生したことが原因で惹起されたものである旨主張するが、前記したところから明らかなように本件事故は、被告人が本件のような気象状況下で追風着陸を選択しながら、運航規程における着陸時の正常操作手順であるフラツプ開度をフルダウンとせず、そして、二〇開度に見合うグライドパスを維持することなく着陸進入を続けたため、機の高度が通常のGCAグライドパスより高くなつて、対気速度も速くなり、そのため機の滑走路接地後の対地速度も速くなり、これらが競合し、さらに、これにハイドロプレーニング現象も介在して発生したものであつて、ハイドロプレーニング現象は本件事故においては間接的、附随的なものであることが事故調査報告書からも認められるから、この所論もまた採用できない。
4 本件における注意義務の内容の検討
以上において判示したところからすれば、被告人は本件事故機の飛行経過を通じて得た宮崎空港の気象及び滑走路情報下で、A滑走路東側27から着陸する場合は追い風着陸(ダウンウインドランデイング)となつて、すなわち、風のあるときに滑走路に対する正常着陸方法と逆方向からの着陸となり、追い風成分が作用し、向い風正常着陸に比べ対気速度と追い風成分(一ノツト追風成分が増すごとに約八〇フイート延びる)の和から対地速度が大きくなり、着陸滑走距離も延びること及びこれに加えて当時は驟雨で滑走路が濡れ、その一部は冠水して一層滑りやすい状態であつたため、それだけさらに、接地後の滑走距離が延び(降雨中の場合は乾燥している場合に比べ約一五パーセント延びる)、高速で接地すると、場合によつては、ハイドロプレーニング現象が発生してブレーキ効果を失わせ、滑走距離が異常に増大するおそれが十分予想できたといいうるから、かかる場合は原判決が詳細に判示するように、多数の人命を頂かる旅客運送用航空機の機長である被告人は、右諸状況を認識し、機体の安全を維持する責任を負う者として、細心の注意を払い、できるだけ接地後の滑走距離を短くして機体を滑走路内に停止させるよう、なお、高速で接地すると、場合によつては、ハイドロプレーニング現象が発生してブレーキ効果を失わせ、滑走距離が異常に増大することから滑走路逸走の危険もあることを予測し、そのためには、全日空の運航規程及び標準飛行方式に規定するフラツプ開度を三五度にし、機の着陸重量に対応したTTSである対気速度九四ノツト(許容範囲五ノツト増加)を守り、仮にフラツプ開度を二〇度にした場合でも、その限度に合致したTTS一〇二、五ノツト(許容範囲右同)を厳守して滑走路末端を通過し、同空港の適正接地点とされている接地帯標識四本線(滑走路末端から一五〇メートル)から同二本線(同末端から四五〇メートル)までの間に接地するよう操縦すべき業務上の注意義務があつたものというべきである。しかるに、被告人は右注意義務を懈怠し、A滑走路東側27へ向けフアイナルレツグに入つて最終降下を続けつつあつた間に、フラツプ開度を二〇度下げにし、エンジントルクプレツシヤーを絞りながら降下しつつあつたとき高度約四〇〇フイートに至つて滑走路が視認できたので、同時点で、柏崎副操縦士に対し、いつたんフラツプフルダウンを指示しておきながら、その直後に、特段の気象変化、フラツプ非対称等の機器の異常が発見されたのでもないのに、咄嗟に横風の影響から機体の安全を保つためにはフラツプ開度二〇度の方が操縦しやすいとの被告人独自の判断から、柏崎に対し右の三五度下げを取消して二〇度下げを指示し、しかも、その際のTTSは一〇二、五ノツトであるのに一〇五ノツトくらいと概算し、同滑走路末端付近を計器速度約一二〇ノツトで通過し、右接地帯標識二本線をはるかに超えた同滑走路東側27末端から八〇〇ないし八五〇メートル付近に、対気速度一二〇ノツトの高速で機を接地させ、その結果、同機をA滑走路西側09末端を越えて逸走させ、擱坐せしめて、これにより原判示各乗客らに判示各傷害を負わせたものであり、そして、前段判示のとおり、被告人が本件着陸進入を続ける過程で、再三にわたつて、管制官から「高度がグライドパスより高い」と指示され、これに従つて被告人がエンジントルクプレツシヤーを絞つて高度を修正してもなお「高度が高い」と指示を受けたことは、明らかに、前段の気象状態が機に大きな影響を与えていること、また、被告人が原審及び当審を通じていま着くか、いま着くかという状態で滑走路上約一〇センチメートル付近を飛行し続けたという供述は、すなわち、通常の目標接地点に機が接地しないことが予測できる明らかな異常事態といい得るもので、そのことを被告人は十分認識していたものということができる。
そこで、前段判示の気象情況のもとで、当時の被告人に対し、一般航空機操縦士に課すると同程度の注意義務を課することが相当か否か、また注意義務を遵守することが不可能な事情が存したかどうかについて検討するに、(証拠略)によると、まず、被告人は前記の二の(二)で判示したとおりYS一一型機の機長となつて飛行時間五八時間のダブルミニマム未解除の機長であつたこと、同機の機長となつて宮崎空港へ着陸したのは本件事故当日が初めてであつたこと、大気及び地上につながる高速度交通の航空機は、他の交通機関に比べ気象の変化に影響を受けやすいから、航空機操縦士は、右変化には特に臨機に対応し、必要かつ適切な措置を採らなければならず、一般に、航空機操縦士は約一時間以前から収集した気象情報を総合し、これを参考に離着陸の判断をするといわれているところ、被告人は、前記のとおり当日約一時間以前からの気象情報を入手しておりながら、本件着陸進入に際しては、本件事故より約八分前の一四時〇九分の気象情報は風向三三〇度から〇六〇度というその変動幅は九〇度もあつて、いわゆるウインドデレクシヨンバリアグル(気象観測の結果、継続的に風向が六〇度以上の振れ幅をもつて変動している場合に用いられる特定の気象用語)の状況下にあり、風速一九ノツト、視程二、五〇〇メートル、驟雨というのに、これを重視せず、その三分後の一四時一二分の情報により着陸を決定したということ、当日の九州方面における気象概況は種子島南東にあつた一、〇〇六ミリバールの低気圧が次第に発達しながら北上しつつあり、前示二の(三)の1記載の気象変化もこれに基因するもので、特に風向の振幅が大きく、一定せずに変動していること、加えて風速も数分間に激しく変動しており、そのことを被告人自身十分知悉していたこと、航空機の着陸は原則として向風でなければならないことは前記のとおりであるが、特に機長の判断で管制塔の許可を得て追風着陸を選んだ場合には、追風成分を当然考慮しなければならないところ、前記のように被告人は一四時一四分四秒ころ最終降下を開始して間もなく管制塔から、高度がグライドパスより高いと再度注意を受け、さらに一海里を過ぎ3/4海里(約一、二〇〇メートル)付近に至つてもなお高度が二〇フイート高いと指示を受けており、その修正のため被告人はエンジントルクプレツシヤーを絞つてグライバパスに合わせるべく努めたが、なお機が自然に浮いてしまう状態が続いたというのであるから、その際右は通常の雨天の場合と異なる気象状況下であつて、これがもたらす機の状態について、冷静、沈着な判断をもつてすれば、その影響が迫風及びフラツプ開度にあり、そして、同状態のまま着陸進入を続ければ、フラツプ開度二〇度の場合の失速速度がフラツプ開度三五度の場合に比べ一、三倍となること、それに追風成分も加つて滑走路接地後の機速が速くなるべきことが十分理解できたこと、さらに、YS一一型機の接地速度は通常九〇ノツトとされており、着陸時の計器盤に最大の注意を向けていたであろう被告人は当時計器盤の示す対気速度が右九〇ノツトを超えていたことを明らかに知つていたことからすれば、当然機の接地速度も速くなるべきこと、加えて湿潤滑走路における摩擦係数の低下に伴い滑走距離も延びるべきこと等劣悪な条件が重なつているのであるから、右外的条件及び被告人の行動経過にみられるこのような場合、ダブルミニマム未解除の、しかもYS一一型機の機長となつて初めての同空港への着陸という経験の浅い被告人においては、前記着陸進入をそのまま継続すれば滑走路逸走等の不測の事態を招く蓋然性が著しく大きい事態であつたことが容易に推認できる。しかるに、被告人はこのことに思いを致すことなく、該機の着陸性能(滑走距離が短いこと)、宮崎空港が一、八〇〇メートルの滑走路を有するものであることから漫然と右着陸進入を続け、これに続く接地、滑走を続けたというのである。本件において、フラツプ開度を二〇度としたことも、前記運航規程及び標準飛行方式からは原則に反するものであるが、このことを別としても、前記劣悪な諸条件下での危険発生のおそれは、YS一一型機の操縦士として一般的水準にある者の知識、注意と技量をもつてすれば、容易に予見できたものと判断できる。原判決が被告人に対し判示注意義務を明らかにし、その遵守を期待することは、他に特段の事情を認め得ない本件にあつては、社会通念に照らしても決して被告人に難きを強いるものとはいえない。また、結果回避措置についても、被告人において右運航規程及び標準飛行方式に精通し、平素の業務を通じて、かかる非常の際に即応する心の準備さえあれば、当時の状況のもとでも滑走路末端進入の以前に十分着陸復行が可能であり、あるいは、滑走路末端通過後においても当時の機速、高度から接地点が延びると判断される時点で、原判示のように着陸復行を試みることは当時の機のフラツプ開度が二〇度であつたことから可能であり、そのうえであるいは、フラツプ開度を三五度とする正常操作手順で再度着陸進入を試みるとか、なお、困難な場合はあらかじめフライトプランにより予定した代替空港である板付空港もしくは鹿児島空港へ着陸するとか、他に採り得る危険回避の措置は残されていたもので、すなわち、結果回避措置は時間的にも行動的にも可能であつたものと認められる。
しかるに、被告人は右注意義務を懈怠し、危険発生の予見義務を怠り、これら臨機の結果回避措置を採らず、ために本件事故を招き、乗客に対する原判示各傷害を負わせたものである。そうだとすれば、被告人の所為が航空法に違反し、かつ業務上過失傷害罪を構成することは明らかであるといわなければならない。
三 結語
以上のとおりであつて、他に記録を精査し、当審における事実取調の結果を併せ考慮しても、原審の判断に所論のような採証法則の違背等に基づく事実の誤認ないし理由不備の瑕疵は見出すことができないから、結局論旨はいずれも理由がないことに帰する。
よつて、刑事訴訟法三九六条により、本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項本文に従い、その全部を被告人に負担させることとして、主文のように判決する。
(裁判官 杉島廣利 富永元順 谷口彰)